心の正体とは
「心」。この目に見えなく無形なものに私たちは時に突き動かされたり、揺さぶられたり、悩まされたりしながら日々を生きています。
人は一日に6万回も思考しているそうですが、脳の働きによって心もそれだけ影響を受けているとなるとこれは放っておくことが出来なくなりそうです。
では、心とはいったい何でしょうか。
身体を観察してみると、頭に浮かんできた事を心で感じているようにも思います。
興奮している時、怒りを感じている時など呼吸が浅く苦しかったりします。
またピンと背筋を伸ばした時には、凛とした気持ちになりますね。
このように誰でも心で感じる事は体も感じ取っているはずです。
それでは心は何によって動かされているのでしょうか。
ヨーガや瞑想の世界では、心は「実存しない現象」と説いています。
心は絶えず動くもので、また動いていなければ存在しないのと等しいとも言います。
心は、ヨーガでは、”「欲望」によって動かされるもの”だと言います。
欲望とは、心を動かすもの、心の原動力になるもの、この世の森羅万象を含む全てのものを
生み出しているたった一つのエネルギーなのだと教えています。
中国で言えば「気」、インドではこれを「プラーナ」と言います。
心も身体も実は同じ一つのエネルギー(プラーナ)で動かされているのです。
例えば、怒りの感情が沸き起こった時に、体は血圧、脈拍、心拍数が上がり、顔は表情を隠すのが難しいですよね。
例えばすごく怒っているのに顔はにこやかに取り繕っても、心拍数や脈拍を自分の意志で穏やかにする事が出来ない。これが心身が一つのエネルギーで動かされている何よりも身近な例です。
そう、心と体は切っても切り離せないということが分かってきました。
そしてこのプラーナをコントロールすることが瞑想をすることなのです。
瞑想の始まりは、今から2500年前、インドでお釈迦様である仏陀が、悟りを開くため、
菩提樹の木の下で瞑想に入ったと言われます。インド古来からあったものを仏陀が体系化し、後の28第弟子の達磨などに受け継がれて行きました。
今日の禅宗の開祖がだるまさんの達磨大師なのです。
だるまさんは修行をしすぎて手足がなくなったと言われていますが今日に見るだるまさんのあの形ですね。
仏教の「禅」とは、サンスクリット語で「ディヤーナ(dhyana)」と言い、音訳すると「禅那(ぜんな)」。
「心を静めて動揺することがなくなった一定の状態」を意味します。
禅とはこのようにもともとヨーガの思想から瞑想と座禅を通して何千年という時を経て尚、日本人である私たちの心の拠り所であり、なじみのあるものです。
心身は一体でプラーナというエネルギーに同時に動かされている。
これを知る事が重要です。
身体に働きかけ、プラーナをコントロールすることで、心もリセットする。
毎日の瞑想でリセットすることは、毎日の心身を良い状態に持っていく事が出来るようになります。
つかみどころがなく目に見えないお天気のような心。
疲れやイライラといった気分も、さあリセット!
一日5分~10分でも出来る、瞑想をぜひ生活の中に取り入れてみませんか。