ー仏教多様化の歴史ー 原始の教えとは?
私たち日本の仏教には、禅宗・真言宗・天台宗・浄土宗・浄土真宗・日蓮宗・・・
といったように多様な宗派があります。
元々仏教は、北インドから西へ広まり、
そこから南下して、東南アジアへ伝搬していった仏教が小乗仏教。
反対に北インドからシルクロードを経て中国・韓国そして日本へと渡った仏教が大乗仏教です。
ちなみに小乗仏教とは敵対する大乗仏教側の蔑称ですから
正当な呼び名ではないのですが、
小乗仏教は現地の人々に上座部(じょうざぶ)仏教という名で呼ばれています。
さて、2通りの仏教があり、宗派もたくさんあり、ややこしくなってきましたが、
もとをたどれば、たった一人の人の生み出した教えでした。
仏教の創始者ブッダ。
その人に他なりません。
ブッダはお釈迦様とも言われますが、神様だったわけではなく、歴史上の人物です。
ブッダの教えは数千年の時を経て
各々の宗派を開いた開祖たちによって現在の多様な宗派があるわけです。
では仏教の大元、ブッダの教えとはどのようなものかと言いますと、
ブッダはお経の中で、弟子たちに教えを説いていますが、
現在私たちの手元にあるお経は別の人が作ったもので、ブッダ本人の言葉ではありません。
ブッダ亡き後の長い歴史の後、弟子たちの手でまとめられた、最古の経典に、
「スッタニパータ」や「ニカーヤ」があります。
ブッダが生きていた頃に限りなく近いという意味でもブッダの思いが限りなく色濃く残されている経典です。
「二カーヤ」の中の一つに「ダンマパタ」(真理の言葉)というものがあります。
日本では法句経(ほっくぎょう)という名前で知られていますが、
ここにはどのような事が書かれているのでしょうか。
その一節に、
”怒りは自分自身を傷つける剣である。”
”他人の間違いに目を向けるな。他人がした事、しなかった事に目を向けるな。
ただ、自分がやらなかった事だけを見つめよ。”
このような詩節が423収められています。
ブッダは何不自由なく恵まれた王子として育ちましたが、
ある日、外の世界に出かけ、道行く人の中を亡くなった人の亡骸が運ばれていく様や病気に伏している人を見かけ、
「生・老・病・死」をさけることが出来ないそのことに気づいてから、恵まれた生活に何の楽しみも意味も見いだせなくなってしまいました。
そしてある日突然、全てのものを捨て出家したのでした。
長い修行の後のブッダ(目覚めた人の意。)は人々に真理を説きました。
仏教における悟りとは、「苦しみからの解放」に他なりません。
時代が進み続くこの世の中でも、ブッダの教えの中の一節をとっても、
人間の永遠の課題は数千年前と変わらないのではないでしょうか。
古代の叡知を知ることは生きるヒントを知ること。
次回からも、ブッダの生きる知恵についてご紹介していきたいと思います。